祖父の本棚を見る

インターネットで何でも調べられる時代になりましたが、

郷土、それもごくごく小さい地域の情報というのは

詳細な情報まではわからないな〜と思ってました。

そんな時ふと閃いたのが

「祖父の本棚」です。

我が家では、学があるのは祖父だけでして、

本を好んで購入していたのは祖父のみでした。

確か、郷土の本があったはず・・・・と思い

他界した際に処分してしまった中に含まれないでおいてくれ・・・・と願いつつ

帰省した際に探してみたところありました!

平成3年8月1日発行

昭和でなくて平成か・・・と思いますが、

この当時に生きていた人には

明治生まれ がまだたくさんご存命でした。

平成3年・・・1991年です。

かの有名なバブル期でないですか!!!!

私の祖父母は大正の終わりの生まれでしたが、

この本にはどうやら明治期を生きた郷土の記録がされていて、

今では大変貴重な情報です。

当時はどこぞのじいさん、婆さんから聞くことができました昔話も

今は聞くことができません。

ほんの数十年でこんなにも違う世界になったのか

出版された当時平成3年から現在の令和4年までの落差はそれほど文化文明に驚くほどの差はないです。

PCとかスマホとか有無の差はあるにせよ

この本に書かれている明治期〜昭和の初めの村と

今現在の村との差はそれはそれは別ものだというのがわかります。

そして、歴史の教科書やテレビで見る一般の日本は違いました。

大正デモクラシーなんてものは農村部には関係がなく、

教科書の大正時代の日本とは同じ時代でも別の時代のようでした。

大正時代 お金を持たずとも生きれた

我々の町を含めて、農山村には国家的な好景気の影響は、

ほとんどありませんでした。

この頃(大正時代)は一般家庭では、昔からの農業が基本となる生活様式であって、

一銭(1円の1/00の位)のお金がなくとも食べ物さえあれば1ヶ月ほども過ごせた。

葬儀があると十銭か二十銭の香典の貸し借りが行われたことがよくみられたとのこと。

物価

あめ玉1個:5厘(1厘=1円の1/1000の位)

ハガキ1枚:一銭5厘

貨幣(大正時代)

銅貨半銭

銅貨二銭

白銅五銭

銀貨十銭

銀貨二十銭

銀貨五十銭

紙幣一円

1円は日常では用がない単位であったとのことです。

円が標準であって、

1円未満は補助貨でした。

補助貨だけで済んだ物価や生活状態を想像してみてください。(とバブル期の時代の人に向けて書かれた)

 
にぼしちゃん
全く想像ができません・・・・

今よりお金が必要なかったなら、当時はお金に対して多くの価値を見出せないのかもしれませんね。

1円も必要でなかったということですが、

紙幣は1円、5円、10円、20円の3種類であって、それぞれ金貨と交換できたとのことです。

『もしかして今もお札の金貨って交換できるのかも』と

一瞬頭に浮かびましたが、

読み進めていくと大正6年頃に交換を廃止したとのことでして、

すぐにな〜んだと答えが出ました。

労働力と物価が不釣り合い

10時間働いて、米3升五合だったそうです。(大正時代の農村部)

 
にぼしちゃん
てか、貨幣でなく「米」で計算?もうすぐ昭和だよ?

ここは江戸時代ですか???

いいえ大正時代です。その前に明治も終わってますよ。

当時は馬車で移動だったそうですが、

馬車賃は貨幣で支払いするので、

当然乗れません。

基本は遠方で行くのは歩きです。

大正時代なので、鉄道の時代ですよね。

我が村は、鉄道はひかれてません。

明治になって鉄道の時代が到来して、街道を行き交う人が減ったとのことですが

それでもまだこの時代は「歩き」だったんだと驚きです。

また、農村部は人手が必要で、

月給取りと言われる勤め人もいなかったので、

今のような過疎問題は夢にも思えられない時代

とのことです。

今は農山部で人で賑わうなんて夢にも思えない時代

ですね。

人を見かけないし、

空き家だらけのこの地域で、

人で賑わっているこの町を想像もできません。

カルチャーショックです。

この本面白いので、また紹介したいと思います。

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