新大久保がすっかり若者の街に・・以前は怖い街のイメージだった

新宿と高田馬場に間にある「新大久保」。

今や原宿竹下通りばりの若者に人気のスポットでございます。

この街、雰囲気がかなり恐めの街だったんですけど、、、、?

20年前のお話

歌舞伎町の裏ある新大久保

歌舞伎町の雰囲気、今も怖いけど、前はもっと怖かった。

その裏にあるんです。

歌舞伎町の繁華街の裏にホテル街、その裏にあるのが新大久保。

今やイケメン通りと呼ばれている通り当たりもホテル街です。

そして、新大久保になるとグッと人が少なくなる。

ネオンも暗い。

韓国人の人が多くいるけども、

東南アジア系の他国の人も多い。

日本人よりもアジア系外国人の方が多い。

だってね、看板が日本語で書かれてないんですもの。

この店もこの店もハングル文字。

日本語は並列されてないのです。

完全に日本人を相手にしていないことがわかります。

ここ日本ですけど?

もうね、異国に旅行した気分です。

しかもちょっとヤバめの。

だってね、そこらじゅうに警察官がいるんですよ。

暇なの?位ちょっと小道に入ろうものなら警察官がいる。

韓国料理屋さんでテレビついているんですが、韓国の放送。

しかも韓国のエンターテイメントなんて感じでなく、

ニュースが流れていたんですが、もはや、南か北か不明。

ていうのも、韓国の大衆文化規制がかかっていたので、

日本には韓国のエンターテイメントが自由に入ってきていない状態。

そう、あのヨン様でお馴染み冬のソナタが入ってきたのはこの規制が解除されてから。

さらに、新大久保の駅前、夜にいくと、

ボディコンの服着たアジア系の外国人女性が待ち構えているんです。

明らかにこれやばいやつやんってわかる。

これが20年前くらいの新大久保のイメージです。

横浜中華街のような観光地になってまえ!

自然発生的に、新大久保はコリアンタウンになっているので、

このせっかくな状況を都市計画的なのやつで、

観光地化してほしいなーなんて妄想をしておりました。

今や自然発生的?に見事に観光地かしている新大久保。

友人のおばあちゃんが、横浜の山手出身なんですが、

おばあちゃんの小さい頃、

「中華街に近づいてはいけない。麻袋に入られて拐われてしまう」と

言い聞かされていたとのことです。

おばあさんは2021年現在70代なので太平洋戦争の最中に生まれた位でしょうか。

なので、1950年代、60年代位の話だと思われます。

今や信じれれない、あの横浜中華街が???

でもよくよく考えれば、あの周辺って結構雰囲気怖い。

時の流れを感じる

やっぱ20年過ぎると、

人の価値観とか許容されることとが大分変わってくるし、街も随分と変わりますね。

でも高度経済成長の日本と比べると、

この20年の変化ってそれほどでもないんじゃないかと思いますが、

私が生まれた1980年代は高度経済成長は終わっていて、

大分緩やかな成長期だったようですが、

でも当時はちゃんと経済成長していたからね。インフレがヤバかったね。

文化が変わるって面白いし、時代の変化に対応できる人間でありたいです。

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