じいちゃんの本棚にあった郷土史には、

ごく小さい地域の年寄りが語った郷土の記憶が書きとめられていた。

多くの人は、明治生まれ大正時代を地元で生きて、

昭和平成へと時代の移り変わり、小さな農村の小さな話がたくさん書かれていた。

歴史の教科書にはとても載らない程の小ささな記録がとても私には新鮮でした。

昭和14年2月10日の記録

しっぺそ、

こんな名前を聞いただけでは、流行の風邪薬かと思う者もあるかもしれないが、

この村でいうしっぺそとは、

雪沓(ゆきくつ)のことで、

もっと分かりやすく言えば、

藁でこしらえた長靴のことである。

私ら(昔の村人)が子供の頃は、

まだゴム長(一般的な現在の長靴)などという重宝な物は流行らなかったので、

雪が降る時期になると、

子供のある家ではどこでも、

 
子供
とうやん、しっぺそ作っておくれやあー
とうやん
よしよし、夜なべに作ってくれるから、藁叩いておけよ。

どこの親父様も、子供にせがまれるとみえて、

三人も四人もが一箇所に集まって、

しっぺそ作りをすることが、

この時期になると多かった。

二夜なべもかけると一足のしっぺそは、

ゆっくりと出来上がるから、

少し大き目に作っておいて、

よくもんだすべ(藁クズ)を入れると、

足袋を履かなくてもポカポカと温かくてとても具合がよいので、

子供も大喜びではきまわり、

雪の降った日らはみんなこのしっぺそで、

御伽話に出てくる山男かと思われるような、

大きな足跡を雪の上に残しながら学校に通ったものだ、

学校の下駄箱には、大き過ぎて入らないので、

下駄箱の前から廊下まで一列横隊に、

見事にしっぺそが並べらたてられたものだったが、

ご時世と共に農村の履物まで一変して、

いつの間にかゴム長に履きかえられてしまい、

「ゴム長と借金のない家は、どのにもごわせんわ」と言われるほどだったが、

今度は事変以来ゴム製品の制限の制限で、今まで1円6、7銭も出せば買えたゴム長が、

4円50銭とう聞いただけで寒くなるような、

値上がりの上、

品質はがた落ちと聞いているので、

「いくら重宝なゴム長でも、片方二両(2円)の上もとられたじゃあ、

そうそう買いみれやしねえわえ。これからはまた昔に返って、しっぺそを作って履くに限りやすはなあ、

おまけにしっぺそを作って履くことが、国策の線とかちゅうものになって、

お上のためにもなるそうでごわるからなあ」というわけで、

一時全く振り向かなかったしっぺそが、

最近またちらほらと現れてきた。

そこへ、小学校で児童に奨励したので、どこでもかしこでもしっぺそ、

しっぺそというようになった。

いざしっぺそを制作という段取りになってみると、

若い者は一人としてこしらえ方を知った者はない。

青年学校の農業の先生に聞いても、これもまた忘れたより何より、

全然知らないというので、

外仕事のできない折を見計らって、

村の功者な老人を講師として、

青年学校が主催で、

しっぺその講習会を開くことになったが、

この講習会が済んだら、定めししっぺそオンパレード時代が出現することだろう。

しっぺそオンパレードの時代は来ず

「しっぺそ」は方言なんでしょう。

方言といえど、地元の記録なので、自分のところの方言ですが、

初めて聞きました。

昭和14年の記録には、「ゴム長」という言葉が多く出ていましたが、

私は、祖父が長靴のことを「ゴム長」と言っていた記憶がありまして、

子供の頃の私は、なんで長靴のことを「ゴム長」というじいちゃんに

 
にぼしちゃん
ゴム長じゃないよ!長靴って言うんだよ!

と言っていた記録が蘇りました。

そして、雪ぐつとゴム性の長靴とを区別するために当時はゴム長と呼んでしたのだな〜と

しっくりきました。

「しっぺそ」はネットで検索しても出てこないので、

地域の古書って面白いな〜とつくづく思うのです。

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