街の本屋に立ち寄ろうとしたら、
もうすぐ閉店するとの張り紙があった。
ショック・・・・
そこら中で大好きな本屋がなくなっていく。
会社帰りよく立ち寄った
用事がなくても立ち寄っていた
悩みがある時はヒントが欲しくて本を探した
綺麗になりたくて雑誌を立ち読みしていた
素敵な物語に出会いたくて小説コーナーで好きな作家の本を吟味した
都会で一人で生きる自分の居場所の一つだった
正直、ここ最近特に2020年に入ってからは、足が遠くなっていた。
Amazon unlimitedなどで雑誌も定額て一通り読めるし、
本だって読みたい本に近いような内容の本は定額内で見つけられたりする。
本一冊分くらいの値段で何冊も読めてしまうのだ。
わざわざ本屋に行かなくても、「まあこれでいっか」というような本は見つかる。
(ただまともに読んだ本はないが・・・)
本屋も以前より活気がなくなっていることに気がついていた。
私だって本屋に行っても何も買わずに後でネットでポチッとすることだってあった。
なので、勝手なもので本屋を訪れるたびに、
「まだ営業してくれている、よかった」と毎回思うのだ。
本屋はなくなって欲しくないのだ。
やっぱり検索では見つけられないものに出会える。
「ああこれこれ」と手に取ってしっくりくる内容に出会える。
「ちょっと違うな」とタイトルから期待して手にして中身が求めているようなものでないことも判断できた。
一人では寂しいけど、
他人もいる落ち着く空間が本屋だった。
「閉店」の張り紙を見て、
「ああ、恐れていたことが現実になってしまうんだな」と思った。
時代の流れとはある日大きな波がきてさらっていくように訪れるんだなと。
自分が子供の頃、昔の日本が近代化して変わってしまったとお年寄りがよく嘆いていた。
その時の大人の気持ちが今40代にして初めて実感している。
駅前のTSUTAYAが閉店した。
パルコの本屋がなくなった。
テレビを見なくなった。
私が20代の頃、全盛期だった、少なくともこんなに廃れてしまうなんてこと考えられなかった。
音楽も信じられない量の楽曲をタダで聴けてしまう。
本も信じられない量の本を読み放題できてしまう。
テレビ見なくていいほど、映画もドラマも見放題、SNSの方が面白かったりする。
便利になっていって、なくなってももう困らないのかもしれない。
でも、
自分がこうやって時代から取り残される日がいつかくるのではないかという不安を感じた。
40代なので、新しいものを取り入れることはできる。
でも、取りいれきれない、ちょっと取りこぼしていそうな気にもなる。
少なくとも今の世の中の主流は自分でなく次の世代が中心になっているものであり、
自分の世代が中心だったものはもう今の現代から明らかに衰退しているものである現実がそこにある。
あと20年時が過ぎて、自分が60代になった頃はどうなんだろう。
今本屋がなくなっても、今の私は本を手にすることはできる。
今TSUTAYAがなくなっても映画もドラマも音楽も手に入れることができる。
でも今私が70代だったら、
本屋がなくなったら本を手にすることが多分できない。
TSUTAYAがなくなったら映画もドラマも音楽も手に入れることは困難だと思う。
そして何より自分の居場所がなくなってしまうことが苦しいのではないか。
時代が変わっていくことは当たり前だと思うが、
やっぱり寂しい。
閉店する本屋で、本を買おうと真剣に店内で本を探した。
その間、レジはずっとお客さんが本を買う人が途切れない状態だった。
この何年も見ない光景だな。
前は当たり前だったけど。
閉店してしまうから、今あるうちにこのお店で本を買おうとみんな思ったんだろうな。
素敵な本はたくさんあったけど、
小さな本棚に入れるのには限度があるので、
きっとこの先も取っておくだろう本を3冊購入した。
この3冊とも、
Amazonではきっと自分は見つけられないと思うものだった。
大学生だった頃から、行きつけだった本屋さん。私と同い年のようです。
今までありがとう。
さようなら。