ガチャンコ小学生が喜びそうな品揃えの店。
ボロいお店だったけど、この度新装開店して、インターネットを使った最新システムも取り入れて・・お店のおばあさんとおばさんの親子で切り盛りしていて・・・
というところで目が覚めた。
そう、昨晩の夢の話なのだが、
このお店は実在してた実家の近所にあるお店だった。
母と娘2人で切り盛りをしていて、ボロい小さいお店。
駄菓子はもちろん、
コンビニにあるようなお菓子や、
ファンタやコーラ、
ラムネ、
プラモデル、
ミニ四駆、
アイス、
かわいい文房具、
ジャンプやコロコロコミック、
りぼん、なかよし、チャオ、
プチレモンなどなど、
夏になれば花火が置かれて、とてもワクワクする空間だった。
100円をもらえれば、結構色々買えて、100円なくとも数十円あれば、
とりあえず欲しいものは買えた。
お金を一人で使えるようになったのは、小学生に上がる前だった。
当時はまだ消費税がなかったので、税金分を計算せずに贅沢に買えた。
物価も今ほど高くはなく、
360mlのコーラやファンタは100円、
いちごのポッキーは70円、
ロッテのガムは60円だったと思う。
りぼんも確か1987年当時380円。
沢山の付録がついていて、全て紙の付録になっていて、
組み立てキャンディーボックスにしたり、
便箋とかノートやメモ帳などりぼんに登場するキャラクターが描かれた、
彩り豊な宝物が詰まったような雑誌でした。
今もあるのかな?と思い調べましたら「620円」。
倍近くになっとるがな・・
これお小遣いで買えるのかしら?380円でりぼんを買えた当時の日本の景気は、
今よりめちゃめちゃよかった時期では?
と大分話題は外れてしまいましたので戻ります。
お店の人は、子供相手にしている割に、子供が好きそうではない
子供ながらに思っていました。
自分の親やばあちゃんは、あまりそのお店の人に好感を持っておらず、
私もあまり好きではなかった。
お店に一人で行くと、お客である私に気づかないまま、
私はなんだか黙って人の家に上がり込んだかのような気持ちで心細く物色しいたら、
「お店に入ってきたら挨拶しないとダメだし、
買い物したらお礼を言わないとダメだ」と叱られた。
今ではこの言葉をそのままお返し致します(笑)と言いたいところだが、
挨拶できないまま大人にならずに、この時点で周りの大人が教えてくれたことは感謝したい。
正直、大人にも子供にもあまり好かれてはなかったけれど、
子供の頃はさほど気にもならなかった。
でも自分が成長していくと、段々とお店に近寄りたくなくなっていったので、
母やばあちゃんが一緒に行きたがらなかった理由がなんとなく今ではわかります。
中学生になってから、りぼんを買うこともなくなって、
部活で帰りも遅くなったため、その後そのお店にいくことはなくなりました。
いつの間にかお店を閉めていた
正月に帰った際、初詣で神社に行く途中にそのお店はある。
しばらく「今もやっているのか?」というように変わらずそのお店はあった。
親子のうち、親が亡くなり、一緒に切り盛りしていた娘は独身のまま一70歳近くになっていた。
もうお店はやっていないとその時は聞いて、「フーン」と思った。
そして今年の正月、初詣にいく際、そのお店は跡形もなく更地になっていた。
こんなにど田舎で、こんなに狭い土地にお店が立っていたのか。
という東京に住む私でも驚きの狭さでした。
娘も親がなくなってすぐに急死されたとのこと。
兄弟が近くに住んでいたようで、お店はその兄弟によってあとを片付けたようだ。
夢の中では、相変わらず2人で切り盛りしていた
愛想がない親子でお店にいて、実家に帰っていた際、
仕事でやむをえずそのお店のネットのチケットを発行してもらうとう、
今らしい変化を取り入れたお店が存続しているという設定。
ああ、今も2人で、新しいことも取り入れてやっているんだなーよかったな。
と自分に都合いい感じになっていた。
現実の世界では、そこにあったものや人はもう跡形もなくなっているのだ。
ちょっとずつ変化はしているとは思っていた。
でも都会ほどの変化は田舎ではない。
でもこうしてみると変化は確実にしているんだと。
そこにあったものがなくなるという変化。
100円あれば、沢山の楽しいものが買える。
当たり前のことではなかったんだね。
そこに存在していてそんな商品を提供してくれてありがとう。