大学新卒で長い勉強期間を終え、
さあいよいよ社会人になる人生の門出で就職先が見つからない・・・
という悲惨な状態を忘れもしません。
2004年3月卒業のため、就職活動時期は、2003年になります。
大変運悪く、グラフの底辺に当たってしまいました。
思い出すだけで苦しくなる、苦い苦い就職活動時期です。
2020年代氷河期に新卒時期が被った世代は現在働き盛りを迎えているとな。
就職戦線異常なし?????
子供の頃に公開されていた織田裕二主演の映画「就職戦線異常なし」を
大学図書館のDVD閲覧コーナーで見てみたんです。
全く参考になりません。
時はねバブル。
え!!!バブルのの就職活動ってこんなんだったの??と時代を恨みたくなるほどの格差
みるんじゃなかった。。。落ち込むだけです。
上のグラフでいうと、頂点のところ
一方、私の活動時期は、底辺のところ
できるだけ時代のせいにはしなくなかったけど、
希望する会社に入れなかったのは自分だけの責任だけど、
大学新卒が就職できないのは自分のせいだけとは言い切れない。
「時代のせいや!」
こんなこと言っても何も変わらないし、自分でどうにかするしかないのです。
実際はどんな感じだった?
あと2〜3年あったらこの氷河期からは抜け出せていたので、
大分状況は違っていました。
とういうのも、
景気の動向が回復という側面もあれば、
団塊の世代(めっちゃ人口が多い世代)が定年を迎えて新規雇用が増えるという面があった模様です。
今からしてみれば暗闇の出口はあったんですが、
どこまで続くかは当時は当然ながらわからかった。
自分の身の回りの状況で感じていた部分として、
私も私の友人も大体苦戦していました。決まらない・・・
でも一部の友人は、生命保険の営業とか、
コールセンターとかへ就職先を見つけていました。
いつまでも決まらなかった組に私はいました。
結局就職先が見つからないまま卒業をしたのは私。
でも周りでも結構いました。
かろうじて就職先を見つけた友人は、
派遣社員、契約社員となり、なんとか卒業の数週間前に決まりました。
他の大学でも?
そう、安泰とは言えなかった。
いつまでも決まらない組の中にもちゃんと存在していた。
文系はどこも結構苦戦していた。
これが理系だと結構違うんですよね。
需要があったんですよこちらには。
日本を代表するような名だたる企業に当たり前のように就職していきました。
あと、同じ大学でも美女とかは違ったw
美女はね外資の航空会社のキャビンアテンダントになっていました。
(その後パイロットの彼氏ができたらしい・・・!!)
とまあ、人は人なので、、、
自分にとってはこの就職活動時期は、
自己肯定感がだだ下がりの経験をここですることになるのです。
就職活動はどんな感じだったか思い出してみる
- エントリーシート←大半はここで不採用になっていた
- 書類審査&適正テスト
- 一次面接
- 二次面接
- 最終面接
書類審査で落ちることが90%位、
応募者全員面接する企業を除いては、
面接まで進めたところはありませんでした。
実際自分がやりたいことなんてなかったですし、正直働きたい企業なんてなかった。
活動する中で見つけていくのでしょうが、
こんなにも自分が社会から必要とされていないのか・・・
という負け癖みたいな心境になってしまって、完全に悪循環。
そして何よりわたくし、、、
自己PRがひじょーーーーーーーーに不得意
周りの優秀な人の前で、
私など・・・・そんな・・・何も持ってないです。。。。。( ; ; )
別に、就職活動だけで使うことじゃないですよね、自己PRって。
社会に出て、「自分はこれほど優秀なんですよ!」と
周りに一目おいてもらうPR場面ってたっくさんあります。
日々の業務でそんな場面日常茶飯事です。
みなさん素晴らしい経歴をお持ちで、専門性をお持ちで、
私などそんな・・・・ありません。。。ってなる。
これ書いていて、思ったんですが、
準備して作っておかないとパッと出ないですよね。
みんな人生何回目ですか??って
思ってしまうようにうまく自己PRできる人ばかりです。
そんな自己PRの天才がいる。
一方、下の下にいる私。。。
ならばしっかり準備してないと出てくるわけがないな。
約20年ぶりの就職活動
就職活動のスタンダードがどうなっているのかさっぱりわかりません。
浦島太郎ってこんな気持ち。
あの頃常識だった、就活って変わったのかも!そうだよね。
SNSとかアプリとかなかったもん。
今もリクナビとかマイナビとか使ってるのかいな。
履歴書って今も手書きなのかな。
メールアドレスをフリーメール使ってはいけないって言われるのかな。
などなど、細かいことが気になる。
今は、まず自己PRできることが何か洗い出しせねばです。