さっちゃんとの出会いは保育園の時です。

さっちゃんは、誰にも親切で優しく、みんなの宝物のような存在でした。

誰からも好かれる人なんていないけれども、さっちゃんに関しては当てはまらないような、神童というような、神様の子供というような、そんな現世離れしているような存在でした。

まるで日本人形のような容姿

真っ直ぐで黒い艶髪に、童顔ではるが美人顔。

とびきりの笑顔をして男子のみならず、女子も虜にしてしまうのです。

趣味は、和歌が好きで、百人一首の歌に感銘を受けていて、でもそんなことは人に特別話はせず、密かな思いを卒業文集で初めて知りました。

実家は明治時代に建てられた大きな家に住んでいる大地主の家の長女でなんだかそこも浮世離れしています。

勉強も非常にできまして、県内有数の進学校へ進み、京都の名門大学へ進学していたというのに、その実力を決してひけらかさない、なんだか雲の上にいるような人なのですが、実に親みやすい人柄なのです。

私は、さっちゃんに憧れつつも、心の奥では嫉妬していたのだと思います。

何をやっても叶わないし、

人格も素晴らしくて非の打ち所がないのです。

さっちゃんといると嫉妬される

みんな、さっちゃんのことが大好きで、さっちゃんと仲良くなりたいのですが、

さっちゃんの親友と思っている女の子がおりまして、

私とさっちゃんが話をしていると、ヤキモチを焼いて話の途中でさっちゃんを奪っていくのです。

とはいえ、さっちゃんは誰にでも親しみやすいので、そんな状態でもギスギス感はなくみんなでわいわいするといった感じです。

私は、さっちゃんと違い、何もかも普通で「叶わない子ではない」というところにいるので、他の女子からの扱いが、なんだか反動でじゃけんにされているような感じを受けました。

なので、さっちゃんは悪くないのに、さっちゃんに対して嫉妬してしまったのです。

ただ、嫉妬していても、自分の気持ちの中で納めてさっちゃんに対しては、普通に接してました。私はさっちゃんに親切にされたことはあっても一度も意地悪なことはされたことはありません。

本当は友達になりたかった

さっちゃんとは多分、親友にはなれない。なんだか自分の至らなさが浮き彫りになってしまって苦しくなってしまうから。

でも友達の一人として、みんなの中のひとりとして今でも関係を続けていられたら、きっとすごくいい影響を受けられるのだと思う。

一方的に受ける側でなくて、私はさっちゃんに対して何かを与えれる人なのかな?とふと考えてしまいます。

私も与える側になりたいけども、与えるものがないなと思うのは辛いです。

与えられる人は、与えられる人よりも、自分だけでは使えない程のものがある場合に成立すると思ってます。

以前読んだ本で、「幸福のための人間のレベル論」によると人間は9つのフィールド訳した場合、自分のフィールドと違うフィールドの人とは仲良くなれないのだというが、まさしく、さっちゃんのフィールドと私がいるフィールドが違うのだと合点がいく。


孤高の存在

さっちゃんは、結局は孤高の存在でして、特定の人と仲が良いというイメージがない。

いつも人に囲まれていて、目立つ存在ですが、特定の人としかいないわけではなく、いろんな人と関わっているのです。それは、保育園、小学校、中学校でもずっとそうでした。

先程の話に出てきた自称さっちゃんの親友は、ベッタリと人にくっつくのが好きなだけで、その時々によりくっつく人を取っ替えているので、この人は親友とまではいかないと見てます。

それでもさっちゃんはいろんな人を受け入れておりますが、去るものは追いません。

さっちゃんの本音をいつか聞いてみたいです。