幼い頃の思い出、ばあちゃんとの散歩したとある1日を話します。
まだ、小学生になる前なので、恐らく昭和の終わり頃1985か1986年位の記憶。
もうぼんやりとしか覚えていないのだけれども、部分部分は鮮明に覚えている。
記憶の中のショートムービーに収まっているようなそんな記憶。
田舎で、田んぼや畑、山がまじかかにあって、川も流れる。
そんな谷間にある扇状地に私の実家がある集落がある。
そんな田舎だけれども、民家は固まっている。
家と家の間隔は、東京の多摩地区あたりの住宅街とそんなに変わらないと思う。
畑や田んぼは集落の近くだが、固まっている。
住む場所と農耕する場所とはくっきり分かれている。
農協が運営する小さいスーパー「Aコープ」が集落にある唯一のスーパー。
ここにばあちゃんとよく一緒に買い物に行ったりしていた。
Aコープへいく途中、お花がたくさんある綺麗に手入れされた庭の家がある。
坂道上に家が立っているので、その家の横に延びる道路から庭の様子がよく見えた。
その家の庭に、池があり、
その周りに芝桜と、確か「藤の花」の棚があった。
後は、背の低い季節の花や、家庭菜園などもあって、
少し洋風の洒落た感じと田舎らしいのんびりした感じとが混ざり、その庭をみるのが好きだった。
うちのばあちゃんは、親しみやすい人柄のせいか、知り合いが多く、
一緒に歩いているとばあちゃんと知り合いによく遭遇する。
芝桜の綺麗な家に住むおばあさんとうちのばあちゃんは友達で仲がよかったよう。
その家には、おばあさんとおじいさんが住んでいて、
多分孫もいたような気がするんだけれども、
歳が近いのに面識なかったから離れて住んでいる家族がいて、
その時は遊びにきていただけなんだと思う。
ある日芝桜の家にばあちゃんと遊びに行った。
小さい家だけれども綺麗にしていて、
藤の家具やら、
レースのクロスやら、
この家の奥様は可愛らしい感性があるということを子供ながらに感じていた。
(我が家の奥様、ばあやと母上は大雑把であまり少女チックではない)
家の雰囲気といい、庭の雰囲気といい、
この家には春の季節がとっても似合うし、近所にある異世界だった。
特に金持ちというわけでもなく、ごくごく普通の家だけれども、
心豊かに幸せであるという空気を感じ取れた。
この家で育った人は恐らく、「育ちがいい」と言われるようなちゃんとしていて暖かい空気だ。
この頃みていた女の子向けアニメは、外国の少女の話が多くあった。
世界名作劇場を筆頭にそれに類似していたアニメが多くやっていて、
その世界観と芝桜の家がマッチしているようで物語の世界に入り込んだかのよう。
私の心に宝石のようにこの日の記憶が残っている。
2020年の正月、帰省した際、珍しく近所を散歩してみた。
芝桜の家の前を通るのは、30年ぶり位になる。
この家に住んでいたおばあさんとおじいさんは、
お亡くなりになり、誰も住んでいない空き家になっていた。
ただ、子供が相続しているようで、曇り窓から鍋などの影が見えて、
プロパンガスの缶も備えつけられていた。
芝桜の綺麗な庭は、枯れた草があるだけで何もなく、池の水は抜かれていて空になっていた。
ああ、時代は変わってしまったんだな、と歩んできた時間の長さを実感した。
都会のように目まぐるしい変化はない場所でも、時間は同じだけ流れていく。
あの頃あったものはなくなっていく、そこに人がいなくなれば、変わっていくんだと。
目をつぶると、鮮やかな芝桜の庭、池に水が入って鯉が泳いでいる景色が浮かぶ。
いつまでもいつまでもその景色と感じ取った感覚が残っていく。